鬼のことわざ 鬼の交流博物館(京都府大江町) 日本の鬼面
大江山鬼伝説1,2,3,
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「酒呑童子の出生伝説」 その1
 酒呑童子伝説の多くは、大江山伝説の形をとっているが、酒呑童子の出生とかかわる伝説を残し、それを物語化したり絵巻としているところは他にもみられる。
 「御伽草子」は、酒呑童子の出生地を越後としているが、新潟県(越後国)には、酒呑童子出生にまつわる伝説が、かなり残っている。中でも弥彦山系の国上山にある国上寺(分水町)には、「大江山酒呑童子」絵巻と共に、その寺の縁起が残され、酒呑童子の生い立ちがくわしく記されている。
 それは、恒武天皇の皇子桃園親王が、流罪となってこの地へ来たとき、従者としてやってきた砂子塚の城主石瀬俊網が、妻と共にこの地にきて、子がなかったので信濃戸隠山に参拝祈願したところ懐妊し、三年間母の胎内にあってようやく生まれた。幼名は外道丸、手のつけられない乱暴者だったので、国上寺へ稚児としてあずけられる。
 外道丸は美貌の持ち主で、それゆえに多くの女性たちに恋慕された。
そうしたうちに、外道丸に恋した娘たちが、次々と死ぬという噂が立ち、外道丸がこれまでにもらった恋文を焼きすてようとしたところ、煙がたちこめ煙にまかれて気を失うーしばらくして気がついたとき、外道丸の姿は見るも無惨な鬼にかわっていたー外道丸は身をおどらせ戸隠山の方へ姿をけしたのち、丹波の大江山に移りすんだというものである。
その2
 もう一つの酒呑童子出生についての異説は近江国(滋賀県)伊吹山、井口とする説であり、奈良絵本(酒典童子)に描かれている。
 嵯峨天皇(809−823)のとき比叡山延暦寺に、酒呑童子という不思議な術を心得た稚児がいた。人々が怪しんで素性をしらべたところ、井口の住人須川殿という長者の娘王姫の子であり、伊吹山の山の神=伊吹大明神の申し子であったというもので、3才のころから酒を飲んだので酒呑童子と名づけ、10才のとき比叡山の伝教大師のもとへ稚児として弟子入りする。
 帝が新しい内裏に移ったお祝いの祭日の日、「鬼踊り」をしようということで三千人の僧の鬼の面をつくり、とくに精魂こめて作った自分用の面をつけ京の都へくり出し、大変な人気であった。 山に戻って、大宴会ののち、酔いがさめ鬼面をとろうとしたが、肉にくいついてとれない。伝教大師は、酒呑童子を山から追い出し国にもどすが、肉親からも見すてられ、山々を転々とし、
ついに大江山にいたったというものである。
 この二つの出生譚、前者は申し子説、後者は異類婚姻説のちがいはあるが、荒ぶる性格の強い山の神の精をうけた異常な男の子として生をうけ、酒を好み乱暴し美貌ゆえに人をまどわし、ついに人間の世界から逸脱して鬼となり、大江山にすみつくという共通点をもっている。

出展、大江町鬼の交流博物館から